プ ロ フィ ー ル

  創業者である父親(小倉康臣氏)の後を継いで、1971年大和運輸(現ヤマト運輸)の社長に就任。オイルショック後には輸送需要の減少の影響を受け、 会社の業績が危機に瀕するが、その打開策として、76年に宅急便を発売する。 「サービスが先、利益はあと」の精神で事業展開し、宅急便を国民生活になくてはならないサービスとして定着させた。今日、売上高1兆円を超えるヤマトグループ58社の礎を築いた功績は多大である。 
  93年には保有していたヤマト運輸株200万株を投じ、障がい者の自立を支援するヤマト福祉財団を設立。95年、ヤマト運輸の経営から身を引き、財団の仕事に専念してきた。その間、福祉関係者を対象に福祉の世界に経営の手法を取り入れることの重要性を説く経営セミナーの開催や、障がい者と健常者が共に働くパン屋・スワンベーカリー16店の展開など、福祉と経営の融合を目指した活動を展開してきた。

 

閉じる | 訃報 | 死亡通知 | プロフィール | 略歴 | 社長コメント