引越事業

婚礼荷の輸送風景

婚礼荷の輸送風景

関東大震災の翌年、1924(大正13)年に引越荷・婚礼荷の扱いを始めた。復興輸送で運送業者が急増する中で、小倉康臣は運賃競争の勝負を避け小規模事業者に手が出せない事業を模索する。
他社を寄せ付けない美しい車両、制服を身につけ、言葉遣いもていねいな運転手、荷扱いなど婚家の要望にきめ細かく応じた対応や工夫が評判となり注文が殺到。
上流家庭の婚礼荷も一手に引き受けるようになり、1925年には宮内省御用達を拝命するなど高く評価されていた。

マッカーサー元帥の移住地(現アメリカ大使館)から、引き上げ荷物を積んで出発する大和運輸のトラック。 当時担当した社員は元帥本人とも会い、「奥さんが優しい人だった」と回顧している。

マッカーサー元帥の移住地(現アメリカ大使館)から、
引き上げ荷物を積んで出発する大和運輸のトラック。
当時担当した社員は元帥本人とも会い、
「奥さんが優しい人だった」と回顧している。

第二次大戦後に拡大した事業の一つに家財の梱包輸送がある。
きっかけは進駐軍。軍人の家財道具の梱包輸送が第一歩だった。
1951(昭和26)年にはマッカーサー元帥の米国帰国引越作業も手がけた。

「引越らくらくパック」の作業風景(1980年代)

「引越らくらくパック」の作業風景(1980年代)

引越バイザーの訪問

引越バイザーの訪問

引越事業が大きく姿を変えたのは、1985年「引越らくらくパック」を発売したときだ。
宅急便に次ぐ第二の柱として従来の引越とは異なる生活空間そのものの移動をめざした。
女性を中心とした相談窓口となる引越バイザーと事前打ち合わせを行い、専用資材を使用した荷造り、運び、荷ほどきなどさまざまなサービスをセット。
目指したのは、朝に元の家から会社に出かけた父親が、帰宅後新居で夕食をとれるような引越の実現だった。